歴史と子連れ旅

元学芸員の子連れ旅ときどき歴史。最近「お母さんて看板(説明板とか)ですぐ止まるよね」と言われます。

お寺のおばあちゃんと古文書の思い出話

網野善彦さんの命日だそうだ。ツイッターではその知らせとともに著書の『古文書返却の旅』の画像が流れてきた。 この本を見るといつも思い出すことがある。そんなわけで、本の内容には関係ない私自身の思い出話を少し。

 

昔、実家が世話になってる寺に行った時、私物らしい本棚に真新しい自治体史が1冊あった。すでに大学でそれなりに歴史をやっていた私は当然ながら興味を持ち、読ませてもらうと、お寺のおばあちゃん(正確な呼び名がわからないので私からの呼び名で)は「もらったけど一度も読んでないのよ。何が書いてあるのかしら」という。その自治体史に寺の古文書が載ったので寄贈されたようだが、おばあちゃんは興味がなくて一度も読んでないと。


そこから、寺の資料に関するおばあちゃんの思い出話をしてくれた。娘さんの夏休みの自由研究の宿題ができてなくて、家にあった古文書を何枚かもっていかせたら(今思うとこれもすごいけど・・・)、先生から「大事なものだからちゃんとした人に見せなきゃだめだ」といわれたという。そこで、某市(近隣で一番大きな都市)にどんなものか聞こうと見せにいったら、預かるといわれ、なんだかんだでそのまま返してくれなかったそうだ。


そんなこともあったので、おばあちゃんはもう家のものを見せたくないと思ったとのこと。私が読んでいた自治体史の調査依頼もきたが、全てお断りしたらしい。

だが、若い住職が寺の古文書を見つけ出し、「こういうものは協力しなきゃだめだ」と言って、持っていってしまったのだという。


その話を聞いた後に、その地域の自治体史編纂委員だった人と縁があった。そういえばと先の寺のことを話すと、確かにその寺からは何度もぽつぽつと古文書があったと連絡があったのだという。話にきいた通りなら、古文書を出したくないおばあちゃんが隠し、それを住職が見つけて自治体史に出し・・・の宝探しみたいなことが何度か繰り返されたのかなと、想像してちょっと可笑しくなってしまった。


ただ、寺のことをよく知る私の母によれば、高度経済成長期の頃に寺と行政が別の事柄で揉めたことが、おばあちゃんの行政嫌いに拍車をかけたのかもしれないという。

 

その揉めた事柄は自治体史の編纂とは時代も違うし全く関係がない。だが、私も自分の体験から、別の事柄で揉めたことをきっかけに行政ときけば不信感を表し、なかなか調査に入れないという資料所蔵者の話は聞いたことはある。

 

自分達とは関係ないのにというのは通じない。その人達にとっては同じ行政、お役所の仕事なのだ。


そのおばあちゃんも、すでに亡くなった。田舎の寺の娘だったおばあちゃんは当時のその地域にしては珍しく、東京にある名門女子大を出たそうだ。恵まれたお嬢様で何も不自由なかっただろうと思いきや、家族には不幸なことがあったそうだし、お寺は立派だけど敷地には今でも行政と揉めたという跡がくっきりと残っている。

生意気な小娘だった私にもニコニコ応対してくれたお婆ちゃんだったが、母からは「お寺のお母さんは頭のいい怖い人なんだから、子どもがめったなことを言ってはだめ」と窘められたこともあった。でも私は寺へ行っておばあちゃんの話を聞くのが好きだった。


『古文書返却の旅』で綴られた網野さんのような人とおばあちゃんが出会っていたら、あの自治体史編纂への対応も少しは違っていたのだろうか。もう確かめようもない。